オブリージュインターナショナル幼稚舎では、毎週1回見学会を開いています。
英語幼稚園に興味のある方、まずは話を聞いてみたい方、近くにお住まいで
保育園・幼稚園をお探しの方まで、お気軽にお越しください。
アフタースクール、サタデースクールの見学も随時行っておりますので、
ご希望の方はご連絡ください。
2019.09.09
「幼児教育・保育の無償化に」ついてのご質問に
「私の子どもは今2歳なんですが、対象になりますか」
というような
年齢についてのおたづねも時々ありました。
その際
「対象年齢は基本的に3歳以上なので、2歳の場合対象外だと聞いています。」
と答えていました。
ただ厳密には、年収が少なくて住民税が課税されない世帯については、
当園のような認可外保育施設でも
0から2歳でも年額42,000円まで利用料が無償化されます。
該当するかどうか不明の方は、市の課税課におたずねになるといいと思います。
3歳以上の子で「保育の必要性の認定」が受けられた場合は、
当園に通園される子も月額37,000円までの金額が還付されます。
その認定には、
保育が必要な理由として、たとえば
○月60時間以上の就労 ○出産
○同居親族の介護、看護 ○求職活動
○育児休業中に、すでに保育を利用している子どもがいて継続利用が必要
などなど、いくつもの理由があがっています。
この場合個別の事情もあるので、ご自分が対象になるかどうか知りたい方は、
お住まいの市町村の役所・役場に直接お問い合わせされるのがいいです。
当園の所在地は岐阜市と各務原市ですが、
今回の制度改正に関連しいろいろとやり取りする中で、
そこの役所の方からも、そうしてもらうのが一番いいと聞いています。
岐阜市なら、子ども保育課 TEL 058-214-7826
各務原市なら、子育て支援課 TEL 058-383-1154
その他の市町村でも同様の担当部署が必ずありますので、おたずねください。
還付支給はお住まいの市町村からなので、そちらの役所・役場の担当部署に
聞いてみてください。
2019.09.07
「オブリージュさんに通園しても、対象になるんですか?」
最近問い合わせがあるのが、
今年10月からの「幼児教育・保育の無償化」についてです。
オブリージュインターナショナル幼稚舎は
行政機関に届出をし指導監督基準を満たしている「認可外保育施設」なので、
他の認可外保育施設と同じく、
3歳から5歳までの園児は月額37,000円までの利用料が無償化されます。
ただ、その対象になるには、
住んでいる市町村から「保育の必要性の認定」を受ける必要あります。
そのためにまず、たとえば
お住まいが岐阜市の方は岐阜市役所に、各務原市に住んでいる方は各務原市役所に、
岐南町に住所がある場合は岐南町役場に、所定の書類を提出しなければいけんません。
保育の必要性の認定を受けられる子どもとして聞いているのは、
両親共働きやシングルの親御さんのなどの家庭の子ですが、
詳細を知りたい方は、
市町村の担当部署(子ども保育課など)に直接おたずねになるといいです。
市役所や町役場の代表電話にコールし、
「10月からの保育の無償化について知りたいのですが」
と言えば必ず担当部署につないで頂けるはずですから。
2018.12.10
皆さん、こんにちは!
前回にもお伝えしましたが、
スタッフ心得7か条 最後の7番目のものは
「全体のサービス力向上をはかるために摩擦を恐れない。
ただし、改善を希望して意見を言う時は、
良い点を一つは伝えたあとに行う。
『共に是れ凡夫のみ』という不完全な人間性の相互所持を自覚して。」
です。
この中に、
『共に是れ凡夫のみ』という文語の言葉がありますが、
実はこれ、聖徳太子の有名な憲法17条にある言葉です。
憲法17条の第10条に、
『十、に曰(いわ)く、忿(ふん)を絶(た)ち、瞋(しん)を棄(す)て、
人の違(たが)うを怒(いか)らざれ。
人皆(みな)心有り。心おのおの執(しゅう)有り。
彼是(かれぜ)とするときは則(すなわ)ち我は非とす。
我是(われぜ)とするときは則(すなわ)ち彼は非とす。
我必ずしも聖にあらず、
彼必ずしも愚(ぐ)にあらず。
共(とも)に是(こ)れ凡夫(ぼんぷ)のみ。』
とあるのですが、そこからの引用文です。
この条文をむつかしそうに感じるかもしれませんが、
そんなことはありません。
現代の職場でも、社交の場でも、家庭でも
私たちがどこにいようと
人とかかわる機会があるなら、だれにでも起こることとして、
思わず腹を立ててしまったり、怒ってしまったりという
のがありますよね。
表情には出さないようにしても、心の中では怒っているとか。
条文の『忿(ふん)』の意味は、表に出さず心中でイカルことです。
あるいは、顔にもイカリを表して怒ったり。
条文の『瞋(しん)』はそういう意味でして、目くじらを
立てて怒ることです。
また、どうしてあの人はああ考えるんだろうか、
全体の場やチームワークとしては、こう動いた方がいいのに、
なぜ自分と同じように動かないんだろうかなど、
自分とは違う事を言ったりしたりする人に腹を立てたり。
『人の違(たが)うを怒(いか)らざれ』というのは、
そういうところをどこかに引っさげていきているのが、
我々人間だからこそ、
「人が自分と違う言動をとっても、それを気に入らないと思ったり、
腹をたてるようなことは、しないようにしよう」
とあるわけです。
続けて、聖徳太子が書いている
『人皆(みな)心有り。心おのおの執(しゅう)有り』とは、
「人には心があるが、心にはそれぞれ執着があったりする」
だからこそ
『彼是(かれぜ)とするときは則(すなわ)ち我は非とす。
我是とするときは則(すなわ)ち彼は非とす。』
「あの人がいいと言っているものを、自分はよくないといい、
自分がいいと言っているものを、
あの人はそれどうなの?と異論を唱えたりする」
でも
『我必ずしも聖にあらず、彼必ずしも愚(ぐ)にあらず。』
「自分は聖人のように完全無欠な人間ではないし、
あの人だって何の取り得もなくただ愚かな人でもない」
結局私たちは、
『共に是(こ)れ凡夫(ぼんぷ)のみ。』
「お互いどこかに欠点もある凡人同士である」
という条文です。
たいへんな聡明を伝えられている聖徳太子にして、
この自覚の持ち主だったところに、
憲法17条が長い歴史の中で今日まで価値あるものとして
伝えられている大きな意味があるように思います。
スタッフ研修の場で、外国人スタッフ達にも
日本人スタッフ達へと一緒して、
この条文のことを詳しく話した事がありました。
はたして彼らはどう感じるのだろうかと
思っていましたが、その時だけでなく
翌日の朝礼の場でもあの聖徳太子の言葉は
よかった、いいレクチャーをしてくれて
どうもありがとうと言ってくるアメリカ人がいました。
他には、こういうことってあるよねと
奥さんとのやり取りを例に出しながら、
気まずい思いをしてしまった自分の経験に照らして
感想を述べるアメリカ人もいました。
それはしっかり聞いていなければ、出てこない言葉でした。
日本人の偉大な祖先である聖徳太子の言葉は、
時代を超えて、異国で生まれた人の心にも
響いたのだと私は思いました。
長くなりましたので今回はこのあたりで
やめます。それでは、また!
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